友の会創立25周年記念号「水輪」より

みなわのほん
友の会創立25周年記念号「水輪」

 

水輪(みなわ)

 

   池の面に投じられた

  小石が描いた

  小さな水の輪

    やがて 岸辺にとどくまで

    ひろがり止まぬ

 

   わたしたちの

   ひそやかな志

   少しずつ 少しずつ

   大切に育んでいきたい

点訳音訳友の会が創立されて、今年、二十五周年を迎えましたこと、非常に嬉しく、また喜ばしく思うことであります。 この二十五年、とても長いようですが、反面、いつの間にたどった年月だったかのように感じる方も多いのではないでしょうか。 

 

ただ、近年は会員の世代交代も目立ち、創立当時から在籍の方が少なくなった実態を見ると、何か感慨著しいものがあるのもいなめません。

 

ですが、この二十五年は、今では三百を超す会員の皆さんがひたすらに、ひたむきに、一つの目的の為に力を合わせ、努力し、励まし支えあって来た年月であり、その中に程度の差はあっても、温かい喜びや明日を待つ生き甲斐がいっぱい広がっていたすばらしい年月だったことを、思わずにはいられません。

 

その一つの目的とは、言うまでもなく「視覚障がいの方々へのお役に立ちたい」という念願です。

そのための諸活動は、利害を越えたレベルで自発的に行なわれることから、純粋な社会奉仕以外の何ものでもありません。

 

この、利害を伴わない自発性は非常に意味の深い理念で、この理念こそが友の会のただ一つの支えともなっているのだ、と今私は思っております。

もちろん賢明な皆さんは、そんなことは始めから思っている、と言われることでしょう。

 

さて、人生は、おとなに成る迄の「自己形成期」、社会人となっての「自己実現期」、そしてその後に訪れる解放期を、社会からもらったものを何らかの形でお返しする「自己還元期」と、三つの時期に区分して説明することがよく行なわれます。

 

この解放期をどのような形で実践するかはまことに多種多様で、それだけで興味津々のドキュメンタリーをどなたも数え切れない程見ていられると思いますが、友の会の皆さんのように奉仕のスタイルでそれを実現されているのは本当に意義深いものがあると、心から感じます。

 

しかし、考えてみると、点訳音訳友の会は何と不思議な集まりでしょう。私も、皆さんにまぎれた目立たぬ存在ですが、まわりの方々誰一人として私が何者かをご存じではありません。

 

私も同様、たとえ同期の方でさえ、何歳で何処で何をしている者なのか全く知りません。

仮に私か結婚詐欺の前科を持っていたとしても、そんなことを問う人は一人もない。どころか、例えば「千円貸して欲しい」と頼んだとすると喜んで貸してくれる。そんな人達ばかりです。

 

一体、この信頼、この善意、この純粋さは何処から来るのでしょうか。 早く言えば、それが友の会という奉仕の集いの特色かも知れません。そして、この不思議の中に、二十五年も平気で続き、これからもさりげなく歩んで行くのであろう秘密があるような気がしています。

 

視覚に障がいを持つ人は、これから多くなるかもしれません。私の親しい人の中にも、視力を失いかけている人が幾人もいます。私も中途失明しないとは言えません。

そんな中、点訳音訳を基本とした情報提供はますます必要とされる事業だと言えるかもしれません。

 

しかし、情報提供は、会員の方々の実にたくさんの手を経て実現しています。その各段階に携わっておられるすべての皆さんには、深く深く敬意を捧げるばかりです。

 

友の会が、これからもますます活動を続けて行く体力を保ち、会員の方々の健康と生き甲斐のもとともなり、光を失った人達への光の役割を、少しでも担い続けて行くことが出来れば、それがまた私達の幸せでもあることを信じ、祈ってやみません。

 

長歌

 

  六点の 文字打つ指と 文を読む パソコンの声 友情の 絆となりて さりげなく 闇負ふ人へ 灯の 一つとならむ 喜びを 分ちあふこそ 友の会なれ